hatuncle007’s diary

百年先の日本を考えよう

映画「ノルウェイの森」を観る。

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村上春樹のベストセラー小説(1987年刊)をヴェトナム出身の気鋭トラン・アン・ユン監督(仏)が映画化したものだが原作を読んでいないので原作に関連付けた感想を述べることはできない。

この映画はポスト全共闘世代の語り手「ボク」(37歳)の18年前の謂わば「ボクの愛の記憶の蘇生」の物語である。主人公ワタナベの回想は次のように始まる「1969年夏、20歳になろうとしていた僕はその時、恋をしていて、その恋は凄くややこしい場所に僕を運び込んでいた」と。そして直子との偶然の再開から物語が展開して行く。彼女直子は「ボク」の幼馴染で自殺した親友で幼馴染のキズキの恋人でもあったことがこの作品の底辺に敷き詰められている。タイトルも直子の台詞「この曲(ビートルズの「ノルウェイの森」)を聴くと深い森の中で迷っている気分になるの」に由来させているのかも知れない。「ボク」の回想は直子の自殺(愛するものを失った者の悲しみを癒すことは出来ない。悲しみを悲しみによつて、そこから何かを学びとることしか僕らには出来ない)を転機に更に広がりを見せて行くのだが青年の「愛と性、生と死」がどけだけ直載的に歌い上げられたかは甚だ疑問に思えた。この映画はラストシーンの「ワタナベ君、今何処にいるの?」の電話の向こうの緑の問いに返事をさせないままに終わる。

この映画の時代背景等を見ると日本では全学連運動がピークを終えた1969年以降に設定されていて主人公「ワタナベ」は学生運動とは無縁のノンポリナンパ人間だ。かかる主人公の愛の追憶だけにヴェトナム戦争の真っただ中で少年期を送っていたであろうトラン・アン・ユン監督には信じがたい程のある種の不条理(現実)を逆説的に映像を通して追求するものであつたのではあるまいか。広大な緑の草原に風がわたり、その中を主人公が直子を追いかけるシーンが印象的あったが「枯れ葉剤」が散布される以前のヴェトナムの草原も斯くの如く豊かだったに違いないと想起したのは愚生だけであったであろうか。この映画はヴェトナムでも同時上映されると聞く。ヴェトナム戦争終結から35年、現在のヴェトナムの若者たちがどの様にこの作品に自己投影するのであろうか。興味の尽きぬところでもある。

この映画には若い男女のセックスシーンが何回か登場するがワタナベを演じる松山が好演しているというか彼の「若さ、瑞々しさ」が上手く引き出されている様に思われた。この辺りがユン監督の腕の見せどころだったのかも知れない。只時折見られた速いカメラ回しとプレ感はポケモン現象を誘発させられ兼ねない程に感じられたことも手伝ってか愚生には上映時間133分は如何にも長く感じられた。


公式サイトhttp://www.norway-mori.com/top.html