hatuncle007’s diary

百年先の日本を考えよう

とてつもない映画「剣岳 点の記」

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多分この映画は時の経過と共に必ずや日本映画の最高傑作の一つとして日本で、世界で君臨し続けるであろうとの予感を禁じ得ない。何故かと問われればこの映画には時空を超えた普遍的真実が全編に鏤められて余りあるからである。これは一つに荒々しくしかも優しい「あるがままの大自然」であり、二つに「人間の志」とその絆の強さである。

この映画「剣岳 点の記」は新田次郎の同名小説を名カメラマン木村大作が初監督として自らメガホンを取り完全映画化したものであるだけに妥協を許さぬカメラが捉えた立山連峰の雄姿は限りなく美しい。(立山連峰から望む富士山の威容や雲海に沈む太陽はことのほか神々しい)また、凡そ100年前の日本の、日本人の「心の佇まい」を観る者に感じさせずにはおかない。まるでSLまでが国威発揚の志を擁して走っているかのようである。

物語は明治39年(1906年)秋から始まる。陸軍参謀本部陸地測量部の測量手、柴崎芳太郎(浅野忠信)は、国防のため日本地図の完成を急ぐ陸軍から、最後の空白地点である劔岳の初登頂と測量(27箇所の三角点の設置)を果たせ、との命令を受ける。北アルプス立山連峰にそびえ立つ劔岳は、その険しさから多くの者が挑みながら誰一人頂上を極められずにきた通称「針の山」とか「死の山」と言われた未踏峰の最難所であった。さらに、最新装備で初登頂を目指す日本山岳会員小島(仲村トオル)等、強力なライバルが出現、測量隊には陸軍のメンツという重いプレッシャーがのしかかる。そんな中、柴崎は前任の測量手・古田盛作(役所広司)を訪ね、信頼できる案内人として宇治長次郎(香川照之)を紹介される。そして翌40年、柴崎たち測量隊一行は総勢7人でいよいよ劔岳の登頂に臨む。

この映画の凄さは139分の限られたフィルムに収まり切れなかった大部分がこの映画の真価を物語っていると思う。撮影まで2年、公開まで3年の歳月とこの映画作りに関わった数多のキャスト、スタッフ関係者すべての情熱「エネルギー」の総量の多大さではあるまいか。例えば200日に及ぶ現地ロケではそれぞれが重い荷を背負って朝4時に出発し9時間歩きその日は僅かワンカットで撮影を終えた日や剣岳山頂で悪天候に見舞われて丸一日棒に振り下山せざるを得なかったエピソード等を待つまでもない。

古田からの手紙に「人がどう評価しょうとも、何をしたかではなく、何のためにそれをしたかが大事」とあったが現在でもこのまま通用する仕事に取り組む心構え、姿勢ではあるまいか。また、あの行者の禅問答のような「雪を背負って上り、雪を背負って降りよ」との言葉に触発されてか柴崎と宇治両人の覚悟「誰かが行かなければ道は出来ない」が遂には不可能を可能にしたのだ。それにしてもあの行者の謎めいた言葉は「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の譬えに倣ったものだったのであろうか。映像の美しさは抜群で演技では香川が出色した超一級作品であると思う。

<参照> 映画「剣岳 点の記」 ホームページ
 http://www.tsurugidake.jp/main.html