hatuncle007’s diary

百年先の日本を考えよう

厚生労働大臣の「産む機械」発言に思う。

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柳沢大臣の発言の真意が全く伝えられないまま「女性は子を産む機械」とは何事かという事が一人歩きしている様で何とも理解し難い世相が猛威を振るっている事に一種の恐怖を感じる。確かに政治家の発言は重いものではあるが大臣といえども一人の人間であり人間には間違いは付きもので時には「失言」もするであろう。だとすれば大臣の発言の真意をもう少し明確にさせて頂くことの方がより重要なのではあるまいか。愚生の理解では柳沢大臣の発言は現下の少子状況を憂い国民に喚起を促す意味合いから女性の本源的機能について発言されたもので女性蔑視だの差別だのとは凡そ縁の無いものであったのでは無いかと思う。にも拘らずたまたま表現の拙さからマスコミの格好の餌食となり野党の待ってましたと言わんばかりの政争の具にされてしまった。そもそも女性が子供を産むことに至上の価値を持ち得なくなったのは女性の高学歴乃至キャリア志向と全く無縁ではなかろう。1960年早大の暉峻康隆氏が「女子学生世にはばかる」を慶大の池田弥三郎氏が「大学女禍論」を夫々上梓し世間に問うたが世論の反応は線香花火的でしかなかった様に記憶する。両氏が提起した大学のマスプロ化なかんずく女性の高学歴化の功罪を含めてその是非が改めて問われてもいいのではあるまいか。要は今日の少子現象は女性の出生率の異常な程の低下にあるのであるからその原因を尋ねる事は寧ろ必然というものであろう。因みに戦後の出生率を見ると戦後では4.5人であったものが1950年代には3.0人を下回り1975年には2.0人(2.1人以下では人口減少とされる)を割り込み2005年では1.26人にまで低下している。このままの出生率で推移すれば2050年には総人口は1億人を割り込み65歳以上の高齢者は全人口の35.7%(2000年17.4%)をも占める超高齢社会になると予測されている。何故かかる事態に立至っているのかと言えば何も女性のみのをとやかく言う筋合いのものではなく並べて日本人の成人男女が自然から阻害され始めているという事でありもっと言えば自然、ある意味於いて野生を喪失し始めているとも言えるのではあるまいか。太古の昔から人類は群れ社会を形成し男女は各々の「分」を弁え分業し「子」を産み育てて生活を豊かにし文化伝統を長い年月をかけて築き上げて来た。今一度人間としての在り様を冷静に考えて見ては如何であろうか。本当に男女を形式として同じにしなければならない必然性が何処にあるのか。職業にしてもどう見ても女性より男性に向いているもの又男性より女性に向いているものは歴然とあるではないか。どうも昨今の日本の世論は借り物の人権だの自由だの平等だの正体不明の「観念論」に余りにも毒されている気がしてならない。もうそろそろ未来へ続く自然に帰ろうではないか。人間の尊厳を愛しく思うのであれば。