hatuncle007’s diary

百年先の日本を考えよう

北方領土の日ってご存知ですか。

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日本政府は26年前の1981(昭和58)年1月6日閣議で2月7日を北方領土の日と決定したがその後国民世論は一向に盛り上がりを見せていないのは一体どうしたことなのであろうか。若しかするとネイミングが悪かったのかもしれない。例えば「奪還北方領土の日」とか「北方領土奪還国民運動の日」とかにしておけば良かったのかも知れない。いやいや今時の若者の中には昭和20年8月アメリカによって原爆を2発も投下され数十万もの被爆死傷者が出た事さえも知らない者がいると云うご時世故世論の盛り上がりなど期待する方が間違っているのかも知れない。今後日本の人口も減少に拍車がかかり50年先には7千万人台に激減するといった予測すらあるくらいだから北方四島などロシアにくれてやれと決め込んでいるのかも知れない。思えば北朝鮮による日本の主権侵害である「拉致」についても長い間日本の世論は無視して来たことだし北方領土問題など霞んで見えないのかもしれない。
第二次大戦まで北方四島歯舞群島(A)、色丹島(B)、国後島(C)、択捉島(D))には1万7千余の人々が生活していたが1945年8月15日日本が「ポッダム宣言」を受け入れ無条件降伏した後の1945年8月下旬から9月上旬にかけてソ連は日本の武装解除後の北方領土を占領しそれ以降不法占拠したたまま今年で62年にもなろうとしている。
 日本国及び日本国民はロシアへそして世界へ北方四島は日本国の固有の領土であり当該四島をロシアより返還されるまで日本の戦後は終わっていない事を改めて宣言すべきであるのではあるまいか。
 昨今北朝鮮核武装をして力による世界戦略の仲間入りをしようとして来ていることに照らし日本の「非核三原則」を国是とした平和外交で一体何が出来るというのであろうか。「拉致」や「領土」問題が何故解決しないかと言えば日本に「力」が無いからに他ならない。何故に力が無いかと言えば国家と国民に「国家主権」意識が欠落又は脆弱化しているからである。たとえ個人の自由や権利意識が如何に肥大していようが国家は守れないのである。2月7日に際しロシアに不法占拠されている北海道根室沖に連なる日本の固有の領土である北方四島に思いを馳せ過般の漁船員射殺拿捕事件が何故起きたのかに思いを巡らせて頂きたいものである。一人の日本人として。合掌。
 <参考>
ソ連の対日参戦
8月 8日 ソ連、対日宣戦布告
8月10日 ポツダム宣言の受諾を連合国へ伝達
8月11日 ソ連南樺太の国境を侵犯し侵攻
8月14日 ポツダム宣言の受諾を決定
8月15日 日本国民に向けて玉音放送
8月18日~8月31日 ソ連カムチャツカ半島方面より千島列島に侵入し、得撫島以北の北千島を占領
8月25日 南樺太を占領
8月28日~9月1日 択捉・国後・色丹島を占領
9月 2日 連合国への降伏文書に調印。(一般命令第一号発令。本命令により、千島の日本軍はソヴィエト極東軍最高司令官に降伏することが義務付けられた。)
9月3日~9月 5日 ソ連軍が歯舞群島を占領
占領は連合軍「一般命令第一号(陸、海軍)」にしたがって行われた。北方領土を含む千島列島と色丹島歯舞諸島ソ連に占領された。翌年1月、連合軍最高司令官訓令SCAPIN第677号により、日本政府は、竹島琉球・千島・歯舞群島色丹島南樺太などの地域における行政権の行使を、正式に中止させられた。その直後、ソ連は占領地を自国の領土に編入している。ポツダム宣言の「吾等ノ決定スル諸小島」が決定されないまま、サンフランシスコ条約は締結され、さらに、同条約に調印していないソ連と領土に関する合意のないまま、ソ連が占領した島々が現在も実効支配されている。(フリー百科事典ウキペディア:北方領土より抜粋)以上。