hatuncle007’s diary

百年先の日本を考えよう

「白州次郎」ドラマ化愈々今夜オンエア

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お断り
この記事は特定の局の宣伝をする意図で書いたものではありませんので悪しからずご了承願います。

愚生も3年程前に「白州次郎 占領を背負った男」<北康利著講談社刊>を一読した時にこれほどに素晴らしい日本人が嘗ていたという事実に触れ何か自虐史観に流され民族のアイデンティティまで喪失した日本にある種の救いを感じたものでした。作家北氏の膨大な資料収集と巧みな筆力に負うところ多大でありましたが敗戦直後、GHQとのやり取りは正に手に汗握るものでした「朱に交わっても赤くならない」白州次郎という人物、特にその精神性に甚く共感した者の一人です。恐らく敗戦後の日本的民主主義が如何に偏向した民主主義であるかを自問自答する好いチャンスになるのではないでしょうか。それ故により多くの人々に白州次郎という人物と追体験的に邂逅していただきたいものです。

白州次郎吉田茂に乞われ日本の戦後処理に有無もをも言わされぬままに係わりを深めさせられて行くのですが、昭和21年2月13日「マッカーサー草案(新憲法)」がGHQより提示され、この辺りから愈々政治の深みに身をおくこととなって行くように愚生には思えたのですが・・・。
具体的なエピソードとして一例を挙げますと、民生局長ホイットニーが次郎に言います。「マッカーサー天皇を取り調べるべきだという他国からの圧力から天皇をお護りしょうという固い決意を持っておられる。しかし、最高司令長官といえども万能ではない。最高司令長官はこの憲法草案が受け入れられるならば事実上天皇は安泰になると考えておられる。」<p.145>「あなたがたがこの草案を受け入れるも受け入れないも自由だ。だが若し受け入れないのなら、次の総選挙で日本政府案を選ぶか、マッカーサー草案を選ぶかの国民投票を行うこととする」<p.146>。さて、この後、白州次郎はどう係って行くこととなるのかドラマの展開が楽しみでもあります。

ж白州次郎箴言
・「プリンシプルを持つて生きれば人生に迷うことはない。プリンシプルに沿って突き進んでいけばいい  からだ。そこには後悔もないだろう」(昭和60年11月28日没、享年83歳)

<参照> http://www.buaiso.com/jirou.html

<参考>白州次郎年表(抜粋)
1902(明治35)年2月17日誕生
1910(明治43)年1月7日正子誕生
1914(大正03)年4月神戸一中入学、12歳
1919(大正08)年3月同上卒業、17歳
1921(大正10)年  英国へ渡航 19歳
1922(大正11)年9月21日、叔父白州十平没
1924(大正13)年  ケンブリッジ大学クレア・カレッジ入学
 同上      年5月24日ベントレー購入
1925(大正14)年  同上 クレア・カレッジ卒業、23歳
1928(〃 03)年  白州商店倒産。帰国、26歳
1929(〃 04)年  ジャパン・アドバイザー入社。10月第3回太平洋会議参加
 同上      年11月19日 正子と結婚、27歳
1931(〃 06)年2月5日 長男春正誕生、29歳 セール・フレーザー商会取締役
1935(〃 10)年10月23日父文平没
1937(〃 12)年3月日本食糧工業(後の日本水産)取締役就任
1938(〃 13)年1月3日次男兼正誕生
1940(〃 15)年6月3日長女佳子誕生
1942(〃 17)年  日本水産退職。帝国水産理事就任
1943(〃 18)年  鶴川村へ転居、41歳
1944(〃 19)年8月5日兄尚蔵没
1945(〃 20)年8月15日終戦、43歳。12月終戦連絡事務局参与に就任
1946(〃 21)年日本国憲法制定作業に立ち会う。3月1日同上事務局次長
1947(〃 22)年5月20日第1次吉田内閣総辞職、同上事務局次長退任、45歳
1948(〃 23)年10月15日第2次吉田内閣成立、12月1日初代貿易庁長官就任
1949(〃 24)年2月16日第3次吉田内閣成立、5月24日同上長官退任、5月25日通商産業省設立。
1950(〃 25)年4月25日吉田特使として訪米、48歳。8月警察予備隊創設
1951(〃 26)年4月11日マッカーサー解任、5月1日東北電力会長就任49歳、
         9月8日サンフランシスコ講和条約
1952(〃 27)年10月30日第4次吉田内閣成立、11月吉田特使として欧米視察
1953(〃 28)年3月欧米視察、5月21日第5次吉田内閣成立、8月母よし子没
1954(〃 29)年12月7日吉田内閣総辞職
1959(〃 34)年4月10日東北電力会長退任、57歳
1966(〃 41)年赤坂にマンション建設、2人の子息夫婦と居住
1967(〃 42)年10月20日吉田茂
1980(〃 55)年最後の英国旅行
1985(〃 60)年11月26日入院、28日午後4時24分白州次郎没83歳。
 <註>出典:北康利著「白州次郎占領を背負った男」白州次郎関連年譜より。以上。