hatuncle007’s diary

百年先の日本を考えよう

大峯千日回峰行満行「人生生涯小僧のこころ」を読む。(塩沼亮潤 著 致知出版刊)

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 19歳で得度若干31歳で大峯千日回峰行満行。往復48キロ、高低差1,300mの山道を毎日、16時間かけて9年間歩き続ける。吉野山金峯山寺の1300年の歴史の中でこの荒行を達成しえた者は著者を含めたった二人しかいない。さらに千日回峰行の後には四無行(九日間、断食、断水、不眠、不臥(食べない、飲まない、寝ない、横にならない))という行も成し遂げた。と聞けば今時千日回峰行の様な荒行に挑みそれを成し遂げられる人間とは一体どの様な人なのだろうかと誰でもが興味を持たれるのではあるまいか。

 大阿闍梨(塩沼亮潤氏昭和43.6.15仙台に生る)の話題は何年か前には聞いてはいたが大阿闍梨が書かれた本を手にしたのは今回が初めてである。過日東京エフエムのPEOPLE「阿川佐和子&森永卓郎のとことんNIPPONウォッチャー」(月一日曜朝5時から、阿川女史の只者ならぬ一面も伝わってきて感動を覚えた)という番組でも著者が招かれこの本も紹介されていたが兎に角肩が凝らずにあっと言う間に読めたような気がする。そう、実に分かりやすく肩肘を張られずに淡々とそれでいて「生きる」ことの真髄が書かれているように思えた。流石に大阿闍梨様だなぁと感服する。

 ところどころに挿入されている「行日誌」は「行」の何たるかを読む者に示唆して余りある。満行され
大阿闍梨となられても一つだけ払拭出来ないでいたものがあつたと告白されていた。それは「我」そのものであったと言う。吉野山を下山して4年、仙台から吉野山を訪ねた折「馬の合わなかった方」と4年振りにお会いし言葉を一言、また一言、さらに一言かけた時に相手の方の口元に初めて優しさが見受けられたという。そしてその時「それまでのものが瞬時に腹の底に落ちて行った」と言われていた。所謂「悟り」を得られたということなのであろうか。

 今の時代が要請したかのようなこの一冊の本に出会えたことに改めて感謝の気持ちで一杯である。因みにこの本のタイトルは千日回峰大行のなか999日目をおえられた時色紙に書かれたことば「九百九十九日生涯小僧」から採られたようである。身勝手ながら今が働き盛りの一人でも多くの人々、とりわけ職務上人の上に立たれる方々には是非ご一読願いたい。結びに同書からホンの一部を引用させて頂く。

「いろいろな迷い、苦しみというものを抱えての私たちの生活ですけれども、何ゆえに迷い、何ゆえに苦しんでいたのかということを自分自身の過去を振り返ってみたときに、心の中で自分自身を都合のいい場所に置き、都合よく事が運ぶように考えて、それが思い通りにならないと、まるで被害者のごとく悩み苦しんでいたわがままな自分がいたように思います。そんな自分に懺悔して、反省という方向に心が動いたとき、迷いや苦しみは、結局自分の心がつくっていたのだと気がつきました。そしてやっとその迷いや苦しみから抜け出ることができたように思います。」(P.257からP.258)