hatuncle007’s diary

百年先の日本を考えよう

一万円札の価値

 この数ヶ月の不快なニュースの一つに「報謝一人一封」と表記し中に「修行の糧としてお役立てください」の添え書きと一万円札を包含した紙袋が全国の役所のトイレなど50箇所で発見されその総額は450万円に上るというものがあったがまた最近模倣犯というか京都の一千万円を皮切りに東京や秋田でも郵便受けに7万円から10数万円の現金が投げ込まれるという事件が頻発している。

 果たして紙幣(日本銀行券)を勝手にところ構わずばら撒くことが犯罪とはならないのであろうか。マスコミや警察当局が黙認乃至容認している様で理解に苦しむ。何より見過ごしに出来ないのは「社会の秩序」に対する反逆行為でありひいては秩序破壊にも繋がりかねない一種のテロ類似行為であることだ。

 此の種の犯行者は高処の見物を決め込み置き捨て或いは投げ込んだ現金を必ず誰かに拾って貰えることを想定しているのであろうが自分が一度捨てたものを他人に拾わせるなど傲慢極まりない己の不道徳さには不思議と気付いては居ない様なのである。善意の喜捨を「行」とするのであれば日本に限らず世界何処へでも喜捨すれば良いではないか。折りしも新潟中越地震で甚大なる被害を多くの方々が蒙っているのだから。

 昔むかしお座敷を跳ねた大成金者が己の履物を探させるのに百円札に火をつけ灯りとして探させたという逸話にもならない逸話を聞かされたことがあったが其れよりもこの一連の一万円札投棄事件は格段に下等な話に思えてなら無い。

 この数年来農業用水路とか資源ゴミとか釣り上げたバッグの中からとか何百何千万円という大金が発見されその都度ニュースとなったことは未だ薄っすら記憶にあるが二昔前くらいまでは「お金は命の次に大切なもの」とまで言われて来たが昨今では「命も金」も安易に捨てられるご時世になったと言う事なのだろうか。
では何故にかくも「命やお金」が軽々に捨てられるのであろうか。それは言うまでも無く「命や金」が従前に比較して「価値」が無くなったからではあるまいか。