hatuncle007’s diary

百年先の日本を考えよう

映画「キャタピラー」を観る

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キャタピラー」(監督 若松孝二)を観る。
この映画は寺島しのぶが第60回ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞(銀熊賞)を日本人として35年ぶりに受賞した話題の映画だ。寺島と言えば目下放映中の大河ドラマ龍馬伝」で龍馬の姉(乙女)を好演していることもあり以前から是非鑑賞したいと思っていただけに寺島の気迫ある赤裸々な演技の外は何かもう一つ期待外れの感を拭えなかった。

この映画は多分若松監督の「戦争(日中~太平洋)」に対する憎悪と反戦の個人的思想のある極限を映像化したものなのであろうが兎にも角にも鑑賞するには重すぎた。前作の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』よりも一段と重かった。映画はもとより娯楽である。それ故に何処かに息抜きなり救いなりが程良く鏤められていた方が遊び楽しめると云うものではなかろうか。例えば久蔵が鉛筆を口に咥えて文字を書くシーンがあるが「ヤリタイ」と書く前に「スマン」とか「アリガトウ」等と一言書けば観る者としては随分救われたに違いない。

敗戦後に生まれ育った日本人は今や総人口の78%を超え原体験として戦争を識る者は極めて少数となつている。かかる中で「忘れるな、これが戦争だ・・・」等と押しつけられても当惑する人も数多ではなかろうか。ただ「戦争と平和」を考える一つのきっかけにこの映画が資することになるのであれば大いに歓迎されるべきだとは思う。「戦争に正義などない」としても「反戦」がまた「正義」である保証などどこにもないのである。いみじくもこの映画のタイトルが語りかけるように我々は芋虫に堕ちる以前から既に「強欲者」として生きているのだから。

あらすじ:
勇ましく戦場へと出征して行ったシゲ子の夫、久蔵(大西信満)、しかし戦地からシゲ子(寺島しのぶ)の元に帰還してきた久蔵は、顔面が焼けただれ、四肢を失った姿(キャタピラー)だった。多くの勲章を胸に、「生ける軍神」と祭り上げられた久蔵。シゲ子は戸惑いつつも軍神の妻として自らを奮い起たせ、久蔵に尽くしていくがやがて偽善と欺瞞に満ちた戦争のシンボルとしての夫に怒りをぶちまけ、久蔵が出征する前シゲ子を役立たず(子を産めぬ女)と殴ったり蹴ったりした関係を反転させて妻は夫を性の道具として扱うまでになる・・・・・・・・。



公式サイト
http://www.wakamatsukoji.org/