hatuncle007’s diary

百年先の日本を考えよう

後期高齢者医療保険制度に思う

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標記の保険制度は2年も前に国会で決議されていたにも拘らず施行に当たって充分なる告知をしなかった為に実施される段階になって異論噴出の様相を呈していることは政府の怠慢以外の何物でもない。まして況や政府与党にあつても「法律の見直し」をせざるを得ないといった意見が大勢であるとすれば国会そのものが立法の府としての機能を全く果たしていないという外は無い。何故ならば国会は審議と議決の場であって単に法律を通すだけの場ではないからである。この法律も十二分な議論が尽くされないまま議決されたということとなり国民への背信となるのではないか。だとすれば先ずはその不始末を国民に率直に陳謝するべきでありせめての償いとして全ての国会議員は歳費の返納(10分の3程度上)を自発的にするべきと思料するが如何であろうか。

 ところで直近の国民医療費を概観すると総医療費32.4兆円(平成17年度)うち65歳以上の高齢者が50%以上を占めその内75歳以上が41.6%(一人当たり75.5万円)を占めているのである。これは65歳未満の一般サラリーマン(一人当たりの医療費13万円)の何と5.8倍にもなっているのである。今後団塊世代を含む高齢者の増加は必然でありこのままでは医療保険制度そのものがもたなくなる事は言を俟たない。現行医療制度を維持するには医療費を抑えるか本人負担を増やすか税金を投入するかしか選択肢はないのである。

 高齢者の医療費が65歳未満の医療費の約5.8倍にもなっていることは超少子高齢社会に突入した日本の大きな試練なのかも知れない。ただこの期に及んでも政府が明確なる国の未来像を国民に示さないまま政局に忙殺されているとすれば正しく国民の不幸である。国民に耳障りの良い事ばかり言っていたので国家財政は破綻してしまうではないか。
 
 嘗て第35代アメリカ大統領J・F・ケネディは就任演説の中で国民に向かって「諸君!今や国家が諸君のために何を為すかではなく、諸君が国家に対して何を為すべきかを問おうでないか」(And so, my fellow Americans ... ask not what your country can do for you ... ask what you can do for your country.)」と。我国でも小泉元総理も郵政民営化構造改革の本丸と位置づけ改革には「痛みが伴うもの、国民も痛みに耐えてくれ」と真の構造改革とは程遠い郵政民営化を強行した。実はこの法律も小泉総理時代の置き土産と言うからあの時の「痛みに耐えてくれ」とはこの事だったのかも知れない。今からでも遅くない。構造改革の一端として後期高齢者医療保険制度を位置づけるならば医療費の実態を白日に晒し国民に具体的選択(例えば消費税増税とか自己負担の増額etc.とか)を求めるべきではあるまいか。

 平成17年度の都道府県別一人当たりの医療費を見ると福岡県が最高で約102万円、最低は長野県の約67万円となっている。福岡県の高齢者は長野県の高齢者の1.5倍強の医療費を使っているのである。この差は何処から齎されるのであろうか。土地柄等もあるとは思うが一番の違いは「生活スタイル」にあるのではないかと思う。高齢者の中には病院をサロン代わりに使っている人も少なくないと仄聞する。今から10数年も前だったろうか長野県某町の「ピンピンコロリ」という運動が話題になったことがあったがそうした運動の理念が今も長野をはじめ新潟や山形など医療費の少ない県では受け継がれているのではあるまいか。要は高齢者が病院通いをせず元気で長生きできる地域づくりが出来れば医療費は自ずと抑制されるのであるからそうした仕組み、例えば高齢者も生き甲斐を実感できるような勝手自由な参加方式の「自由菜園」とか「ご近所パトロール隊」とか「子どもと遊ぼう会」etcとか、知恵を出し合って創設してみたら如何であろうか。

 結びに改めて提言したい。今の今「死にたくても死ねない」老人は五萬といる。意識喪失のまま患者の意思に関わらずただ生かされている人々(スパゲティ患者)が何万、何十万人もいると言う。こんな残酷なことが基本的人権をモットーとする国で罷り通って良いものであろうか。人権を云々するのであれば『尊厳死基本法を速やかに制定し少なくとも本人が望まない延命治療を即刻中止し所謂「消極的尊厳死」のみでも認められるべきと思料するものである。